真言宗、臨済宗、曹洞宗、浄土宗、日蓮宗の仏教各宗派筆頭寺院である「諏訪五ヶ寺」。高島藩政時代にはそれぞれが諏訪藩主家や藩に対する役目を担い、お殿様と直接会うことのできる「お目見え」以上の格を持っていました。高島藩とその藩主が庇護し、篤く信仰した5ヶ寺には、廃仏毀釈の際に諏訪大社などから移転された諸仏や古文書など、貴重な宝物が現存しています。
日本の仏師の最高峰「運慶」作とされている不動明王立像は見応えあり。
神道と仏教が一体化していた神仏習合の時代には「諏訪大明神」として祀られていた普賢菩薩像をはじめ、諏訪大社にゆかりの宝物が多く残されているのが佛法紹隆寺。
なかには日本の仏師の最高峰・運慶作と伝えられる不動明王立像もあります。長くあくまで伝承とされていましたが、近年の研究では運慶が生きていた時代、運慶の率いる運慶工房でつくられたことが判明しています。
このほかにも6,000点を越える文化財や安土桃山時代から各時代につくられた名勝庭園など貴重な遺産の数々が残されています。また、秋には高さ40mの天然記念物・夫婦銀杏が美しくライトアップされる紅葉スポットとしても愛されています。
諏訪の仏教の中心的存在
諏訪大明神本地仏 普賢菩薩騎象像
すわだいみょうじんほんちぶつ ふげんぼさつきぞうぞう
神道と仏教が一体だった神仏習合の時代に、「諏訪大明神」として祀られていたのがこの普賢菩薩像。「諏訪の本尊也」という書付も発見されており、諏訪の仏教の中心的存在であったと思われます。諏訪大社上社に隣接し、密接な関係があった「神宮寺」というお寺に祀られていましたが、明治時代の「神仏分離」により仏法紹隆寺へと秘かに運ばれました。台座の象の部分は鎌倉時代、菩薩像の部分は安土桃山時代につくられています。これは天正10年(1582年)3月3日の織田信長軍による諏訪大社上社が焼き討ちでお像の菩薩部分が破却され、信長の死後に菩薩像のみつくり直したためです。菩薩部分は慶派という流派の一流仏師「民部法眼 康俊」により制作されたことが確認されています。また、胎内にはわずか3センチほどの普賢菩薩騎象像が納入されています。
住民に守られ続けた仏さま
文殊菩薩騎獅像
もんじゅぼさつきしぞう
かつて諏訪上社の神宮寺普賢堂の諏訪大明神本地普賢菩薩と共に祀られていた文殊菩薩騎獅像。明治時代の神仏分離により諏訪上社神宮寺普賢堂より仏法紹隆寺へと運ばれました。神仏分離の際にはお像を壊すという意味で左目を削り取られました。しかし、仏さまを守ろうとする住民の意志が強かったようで左目だけの被害で済んでことは不幸中の幸いともいえるでしょう。弘法大師により作られたという伝承がありますが、本像の制作年代は室町時代と推定されています。
「運慶」が作ったとされている不動明王立像
伝運慶作 不動明王立像
でんうんけいさく ふどうみょうおうりつぞう
日本の仏師の最高峰ともいえる運慶が鎌倉初期につくったといわれる像です。最近の研究では、運慶が生きていた時代の運慶率いる運慶工房でつくられたことがほぼ確定しつつあります。鎌倉時代には幕府の重臣として活躍していた諏訪の名族・諏訪氏と、幕府との関わりが深い運慶のつながりを示す、歴史的にも重要なお像です。諏訪氏も手厚く扱っていたと考えられ、近年でも諏訪湖の波除祈願の本尊として祈りが捧げられていました。像高は42センチと決して大きくはありませんが迫力があり、運慶関係の企画展などにも出展されることが多いです。現在も研究が進められており、運慶作との確証が発見され「伝運慶作」から「運慶作」となる可能性を秘めています。
鎌倉時代から近代に至るまでの貴重な品々を展示
宝物殿
ほうもつでん
仏法紹隆寺は諏訪大社の仏教の仕事を司る別当社務職やお坊さんの学校である常法談林所、諏訪高島藩の祈願寺など多くの役目を務めてきました。そのなかで仏教美術、宗教美術といった諏訪の歴史的遺産ともいえる宝物がお寺にもたらされました。宝物殿では、こうした遺産を展示しています。仏像では「伝運慶作 不動明王立像」や「院派作 普賢菩薩像」「諏訪大明神本地普賢菩薩像」など、掛軸・絵画では「伝狩野探幽画 釈迦三尊像」「両部大曼荼羅」「真言八祖」「十二天画」など、聖教・古文書では「沙石集」「玄宥書状」など、鎌倉時代から近代に至るまでの貴重な品々を展示しています。総数は6000点を超え、毎年テーマに沿って展示の入れ替えをしています。
安土桃山時代に作庭された諏訪地域最古の庭園
安土桃山庭園
あづちももやまていえん
1500年代の末期安土桃山時代に作庭された庭園。諏訪地域では最古の庭園であり名勝指定されています。滝口は玉澗式(ぎょっかんしき)と呼ばれる技法を用いて作られていて安土桃山時代の特徴のひとつでもあります。石組みも仏さまと同じように三尊形式という組み方が多様されていて、仏さまが住む伝説の山「蓬莱山」を模して作った「蓬莱三尊石」や不動明王を模して作った「不動三尊石」など様々な技法が用いられています。江戸時代に増庭された部分があり、合わせて庭園を形作っていて、水が張られている部分は「心」という字になる「心字池」になっていて、池の中央には「亀島」と「鶴石組み」がありそこに込められた想いを楽しむこともできます。この安土桃山庭園、江戸庭園の他にも明治大正庭園、昭和庭園などそれぞれの時代の庭園をめぐり様々な風景をご覧いただけます。
成田山新勝寺の分尊を祀るお堂
成田不動尊
なりたふどうそん
仏法紹隆寺は不動明王の霊場としても名高く、江戸時代には藩主や藩政の護摩祈祷を行っていました。明治に入り諏訪高島藩が解体された後も、地域住民の想いによって新たに成田山新勝寺から不動明王をお迎えして諸々の願いの成就を祈る場所となりました。本尊の成田不動尊は地域住民が千葉県にある成田山新勝寺から背負って当山にもたらされたものです。その分尊を祀っているのが、明治初期に建てられたこのお堂です。現在でも毎月28日に護摩祈祷が捧げられており諸願の成就を祈ります。4月、8月に行われる護摩祈祷大祭では、境内に屋台が出店され参拝者でにぎわいます。現在は本尊の成田不動三尊像に加え、室町時代の不動明王像、江戸時代の不動明王像の3体のお不動様が祀られています。
秋には黄金色に輝き、ライトアップも
夫婦大銀杏
めおとおおいちょう
イチョウは中国原産の植物。日本にもその昔中国から伝わったのですが、その最初のイチョウがもたらされたのが宮崎県の高千穂と諏訪の地であったとの伝承があります。夫婦大銀杏はその最初のイチョウの子孫にあたるといわれており、古代イチョウの末裔なんだそうです。境内には雌雄2本の大イチョウがありますが、雄の木は諏訪大社の最高神官で諏訪氏が務めた「大祝(おおほうり)」という神職の屋敷にある雌の木と夫婦であるとされます。目通り周囲は5メートル弱、高さも40メートル以上ある大イチョウで、諏訪市の天然記念物に指定されています。紅葉の時期はライトアップされ、多くの人で賑わいます。境内には雌の木も存在し、毎年多くの実を結びます。この「ぎんなん」を食すと子宝に恵まれるとの伝承もあります。
成田山新勝寺の分尊を祀るお堂
藩主守護仏 大聖歓喜天
はんしゅしゅごぶつ だいしょうかんぎてん
江戸時代の代々の諏訪藩主のご祈祷をするお堂です。当初は高島城内に祀られており、仏法紹隆寺の住職がお城まで出向いてご祈祷を捧げておりましたが、4代藩主・諏訪忠虎公が住職の苦労を想い、お城が望める境内の西の隅に移転させ、以後現在までここでご祈祷を行っています。お堂は諏訪高島藩の諸々の建築を務める作事方「大隅流」の大工によりつくられました。大隅流は諏訪大社の社殿造営などを行ったことでも知られる大工の一派。その初期の棟梁「伊藤弥右衛門」により建立されたことが確認されており、現存する大隅流建築の2番目に古い建物です。堂内には立派な厨子があり、前立本尊として藩主念持仏の聖観音と、代々の藩主により造像された本尊である9体の大聖歓喜天などが祀られています。聖天さまと呼ばれる当山の歓喜天は「七福即生」、すなわち良縁成就・商売繁盛・子孫繁栄などの7つの福がたちまちに訪れる功徳があるされています。9月中旬の1週間しか開扉されないお堂であり、なおかつ本尊の聖天さまは秘仏であるという古来の信仰の姿が現在でも続けられています。
織田信長の残したとされる梵鐘と和泉式部のが眠る。
高島藩主・諏訪家の菩提寺として2代忠恒以降の歴代藩主の墓があります。諏訪藩主だけでなく、多くの著名人の墓も残されており、なかには平安中期の歌人・和泉式部のお墓も。和泉式部は全国各地に墓所と伝わるところがありますが、この温泉寺もそのひとつです。また、織田信長が他の地域から奪略したとされる梵鐘が温泉寺に残されています。
高島城から移築された能舞台を使った本堂や、樹齢370年のシダレ桜「忠恒(タダツネ)桜」が見どころです。
徳川家の菩提寺の一院。樹齢400年のシダレ桜が美しい。
徳川家康の六男で諏訪に流配された松平忠輝公の墓所としても知られるお寺。5代将軍綱吉より忠供養料を寄進され、徳川家の菩提寺の一院となって栄えました。
樹齢約400年のシダレ桜が有名で、開花時にはライトアップが行われます。
織田信長から家康、そして忠輝にもたらされたとされる「のか勢(のかぜ)」という笛が残されています。
諏訪大社神宮寺より移築した、仁王門と仁王像が見どころ
熱心な日蓮宗信者だった三代藩主忠晴の母・永高院が再興したお寺で、永高院の墓や遺品、諏訪家ゆかりの文化財が多く残ります。
仁王門と仁王像は諏訪大社神宮寺より移築されたものです。
忠晴直筆の絵画「西王母」といった品も。
徳川家康より拝領した「琥珀観音」や樹齢三百年の杉並木など、文化財多数。
初代高島藩主・諏訪頼水とその父頼忠の墓が残されるお寺。頼水が個人的に所有して拝んだ「頼水念持仏」が安置されています。
頼水が徳川家康より拝領したとされる琥珀観音や吉山明兆作「十六羅漢図」など貴重な文化財が多く現存するほか、推定樹齢300年におよぶものもある境内の杉並木が地元・茅野市文化財にも指定されています。
*御朱印:住職不在の場合は、対応できかねる場合がございます。
お寺の多く集まる上諏訪エリアには、酒蔵、味噌蔵、カフェなど、てらまちあるきと合わせて訪れたいスポットがたくさんあります。五ヶ寺周辺の見どころをご紹介します。
諏訪五蔵 酒蔵めぐり
JR上諏訪駅前を走る国道20号線、甲州街道沿いには5軒の蔵元「諏訪五蔵」が。1,800円で各蔵のお猪口と試飲が楽しめる「諏訪五蔵 ごくらくめぐり」で、まち歩きがてら呑み歩きもできます。
立石公園
標高933mの山腹につくられた公園。諏訪湖とアルプス連峰を一望する諏訪エリア随一の展望スポットとして地元で愛されてきました。最近では大ヒットアニメ映画の聖地のひとつともいわれ、国内外から多くの観光客が訪れています。
ReBuilding Center JAPAN
古材やレスキューされた家具、雑貨などが並ぶリサイクルショップ。大きなビルを改装しレトロな雰囲気が漂う諏訪の新名所です。1階には古材を利用してつくったテーブルなどが並ぶカフェもあり、まち歩きの休憩にも利用できます。
丸高蔵 みそ茶屋千の水
築100年以上、対象自体の古民家を改築した味噌蔵。仕込み・熟成まで一貫して作られるこだわりの味噌が並びます。併設の食事どころでは味噌の香り漂うオリジナルランチがいただけます。
高島城
豊臣政権下で築城され、「諏訪の浮城」とも呼ばれた諏訪高島藩のお城。明治時代に天主をはじめ当時の建物が撤去され、公園となりましたが、戦後天主が復興されました。春には約90本の桜や樹齢130年の見事な藤棚が楽しめます。